「平清盛」が一時的に移した都の名前は?

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「平清盛」が一時的に移した都の名前は?

  1. 福原京
  2. 長岡京
  3. 藤原京
  4. 恭仁京

【答え】 福原京

福原京は、平安時代末期の治承4年(1180年)に、平清盛の主導で一時的に日本の都とされた場所です。現在の神戸市兵庫区平野を中心とする一帯にあたります。

福原京への遷都の背景と理由

平清盛は、日宋貿易の拠点として重要視していた**大輪田泊(おおわだのとまり、現在の神戸港の一部)**に近い福原に、以前から別荘を築き、一族の拠点としていました。遷都にはいくつかの理由があったとされています。

  • 貿易の拠点化: 大輪田泊を整備し、宋との貿易をさらに発展させるための拠点とする意図がありました。
  • 寺社勢力からの脱却: 奈良の興福寺など、従来の都である京都の寺社勢力の政治的干渉を避けたいという清盛の思惑がありました。実際に、以仁王(もちひとおう)の平氏追討の令に興福寺が加担したことも、遷都の理由の一つとされています。
  • 反平氏勢力への対応: 治承3年(1179年)に清盛が後白河上皇を幽閉し、政治の実権を掌握した後、翌年には以仁王と源頼政が決起し、全国的に反平氏の動きが広がっていました。清盛は、こうした反乱に対応するため、福原への遷都を強行したとも言われています。

短期間で終わった「幻の都」

福原京は、わずか約半年間(治承4年6月から11月まで)しか都として機能しませんでした。安徳天皇や高倉上皇、後白河法皇が福原に行幸し、清盛の私邸が皇居に提供されるなど、都造りが進められましたが、新都の建設は未完成のままでした。

短期間で京都へ還都した主な理由は、各地で起こる源氏の挙兵など、反平氏勢力への対応が急務となったためと考えられています。遷都は、かえって平氏政権の威信を低下させる結果となり、清盛は翌治承5年(1181年)に病で亡くなりました。

現在の福原京

福原京は短命に終わったため、「幻の都」とも呼ばれています。当時の建造物の多くは源義仲によって焼き払われたとも言われ、現在ではその痕跡はほとんど残っていません。しかし、現在の神戸市兵庫区の平野地域や雪御所町、上祇園町の一帯には、平家ゆかりの地名や史跡が点在しており、当時の面影を偲ぶことができます。

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