伊達政宗の家臣で,政宗が派遣した慶長遣欧使節の副使は誰でしょう?

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伊達政宗の家臣で,政宗が派遣した慶長遣欧使節の副使は誰でしょう?

  1. 片倉小十郎
  2. 支倉常長
  3. 伊東マンショ
  4. 小西行長

【答え】 支倉常長

支倉常長(はせくら つねなが)は、江戸時代初期の武将で、慶長遣欧使節団の正使として知られる人物です。伊達政宗の家臣として、日本とヨーロッパの歴史に大きな足跡を残しました。

経歴と主な功績

  • 生没年: 元亀2年(1571年)生まれ、元和8年7月1日(1622年8月7日)死去(※没年については諸説あり)。
  • 慶長遣欧使節: 1613年(慶長18年)、仙台藩主・伊達政宗の命を受け、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロと共に「慶長遣欧使節団」の正使としてヨーロッパへ出発しました。
    • 目的: 主な目的は、メキシコ(当時のスペイン領ヌエバ・エスパーニャ)との直接通商関係の樹立と、スペイン国王やローマ教皇との面会を通じて、仙台藩内でのキリスト教布教の許可を得ることでした。
    • 壮大な旅: 彼らは、政宗が建造させた西洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ号」に乗り込み、太平洋を横断してメキシコへ。そこから陸路で大西洋岸へ出て、さらに船でスペイン、フランス、イタリアへと渡りました。
    • 謁見と洗礼: 1615年にはスペイン国王フェリペ3世に謁見し、その後ローマへ向かい、ローマ教皇パウロ5世にも謁見しました。この旅の途中で、常長自身もキリスト教の洗礼を受けています。
    • 「ハポン」姓: スペインのセビリア近郊、コリア・デル・リオという町には、今でも「ハポン」(日本)という姓を持つ人々が多くおり、これは慶長遣欧使節団の一部が現地に残った子孫ではないかと言われています。
  • 帰国と晩年: 7年にもわたる長旅の末、1620年(元和6年)に帰国しました。しかし、帰国時には日本でキリスト教禁教令が強化されており、使節の目的であった通商や布教の成果は得られませんでした。常長自身も、帰国後はキリシタンとして厳しい立場に置かれ、不遇のうちに亡くなったとされています。

支倉常長の評価

支倉常長の遣欧使節は、日本人として初めて太平洋と大西洋を横断し、ヨーロッパの君主や教皇に直接謁見したという点で、日本の外交史において非常に画期的な出来事でした。

しかし、その成果は当時の国際情勢や国内のキリスト教弾圧によって十分に生かされることはありませんでした。それでも、彼が持ち帰った資料(「慶長遣欧使節関係資料」として国宝に指定され、ユネスコ記憶遺産にも登録されています)は、当時のヨーロッパと日本の交流を示す貴重な史料となっています。

支倉常長の生涯は、まさに激動の時代に国際舞台で活躍した侍の姿を物語っています。

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