1949年、国鉄の総裁が、常磐線綾瀬(あやせ)駅付近の線路上で轢死体となって発見された事件を何という?

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1949年、国鉄の総裁が、常磐線綾瀬(あやせ)駅付近の線路上で轢死体となって発見された事件を何という?

  1. 三鷹事件
  2. 下山事件
  3. 松川事件
  4. 大津事件

【答え】下山事件

下山事件(しもやまじけん)は、1949年(昭和24年)に発生した、日本の戦後史における最大のミステリーの一つとされています。

事件の概要

  • 失踪と発見: 1949年7月5日朝、当時、GHQの指令による国鉄の大量人員整理を進めていた初代国鉄総裁・下山定則が、出勤途中に姿を消しました。そして、翌7月6日未明、東京都足立区の常磐線北千住・綾瀬駅間で、轢死体となって発見されました。
  • 国鉄三大ミステリー: この事件は、直後に発生した三鷹事件、松川事件と合わせて「国鉄三大ミステリー事件」と呼ばれ、日本の占領期の社会情勢を象徴する出来事として語り継がれています。

捜査と「自殺・他殺」論争

事件の最大の争点は、下山総裁の死が「自殺」か「他殺」かという点でした。

  • 自殺説: 遺体の状況から、下山総裁が自ら線路に横たわったとする説です。事件直前の下山総裁の「奇行」が目撃されていたことや、GHQからの人員整理の厳しい要求に板挟みになっていたことなどが背景にあるとされました。
  • 他殺説: 遺体には生体反応がない部分や、轢死する前にすでに死亡していたことを示唆する痕跡が見つかり、誰かに殺害された後に線路に置かれたとする説です。捜査に当たった警視庁捜査二課や東京地検の一部は他殺説を主張しました。作家の松本清張は、著書『日本の黒い霧』で米軍の謀略による他殺説を唱え、大きな反響を呼びました。
  • 法医学的見解の対立: 当時、遺体を鑑定した東大と慶應義塾大学の法医学教室の間でも、生体轢断(自殺)か死後轢断(他殺)かで意見が真っ二つに分かれ、このことが事件の真相をさらに複雑にしました。

未解決のまま時効に

捜査は混迷を極め、自殺説・他殺説の対立は解決されないまま、1964年(昭和39年)に公訴時効が成立し、事件は未解決となりました。

下山事件は、単なる一人の死を巡る事件ではなく、当時のアメリカによる占領政策、労働運動、そして冷戦の始まりという時代背景が複雑に絡み合った、日本の戦後史の闇を象徴する事件として、現在も多くの人々の関心を集めています。

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