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1939年ソ連と満州の国境で起こった,日本とソ連の戦闘を何というでしょう?
- ノモンハン事件
- 西安事件
- シベリア出兵
- シーボルト事件
ノモンハン事件は、1939年5月から9月にかけて、満洲国とモンゴル人民共和国(ソ連の衛星国)の国境線を巡って発生した大規模な軍事衝突です。特に、日本の関東軍とソビエト赤軍(ソ蒙軍)が直接対決し、近代的な兵器を用いた激しい戦闘が繰り広げられました。
概要
- 時期: 1939年5月11日から9月15日(停戦協定成立)
- 場所: 満洲国とモンゴル人民共和国の国境地帯、ハルハ河東岸のノモンハン周辺
- 当事者: 日本軍(関東軍・満洲国軍)とソ連軍(モンゴル人民共和国軍)
- 名称: 日本では「ノモンハン事件」と呼ばれることが多いですが、ソ連では「ハルハ河戦役」と呼ばれます。
原因
主な原因は、満洲国とモンゴル人民共和国の間の国境線の認識の相違にありました。
- 日本・満洲国側: ハルハ河を満蒙国境と主張していました。
- モンゴル・ソ連側: ハルハ河から約20km東のノモンハン周辺の地帯を国境と主張していました。
この国境線が不明確であったため、両国間での国境侵犯が頻発し、小規模な衝突が続いていました。関東軍は、独自に定めた「満ソ国境紛争処理要綱」に基づき、ソ連・モンゴル軍の不法行為に対して徹底的な膺懲(ようちょう)を行う方針で、これが局地的な紛争を拡大させる一因となりました。
経過と結果
- 第一次ノモンハン事件(5月): モンゴル軍の越境をきっかけに、関東軍が航空部隊や地上部隊を派遣して反撃。当初は日本軍が優勢でしたが、ソ連軍の反撃を受け、日本軍に大きな損害が出ました。
- 第二次ノモンハン事件(6月~9月): ソ連軍が本格的な機械化部隊を投入し、日本軍は劣勢に立たされます。特に8月のソ連軍による大規模な総攻撃は、戦車や砲兵、航空機を駆使した近代戦となり、日本軍は甚大な被害を受けました。
- 停戦: 激しい戦闘が続く中、8月に独ソ不可侵条約が締結されたことで、ソ連は東方での戦線を早期に収束させる必要が出てきました。また、日本側も被害の大きさと、日中戦争への影響を考慮し、外交交渉へと転換しました。1939年9月15日にモスクワで停戦協定が成立し、戦闘は終結しました。
犠牲者数
双方ともに大きな犠牲者を出しました。正確な数字は資料によって異なりますが、以下のような報告があります。
- 日本軍: 戦死約7,696名、負傷約8,647名(旧日本軍の発表より)
- ソ連軍: 戦死約9,703名、負傷約15,952名(ロシア側の新資料による)
- ソ連側の死傷者数は当初過少に発表されていましたが、ソ連崩壊後の資料公開により、日本以上の死傷者が出ていたことが明らかになっています。
- ソ連軍の車両損失:装甲車両397両、航空機251機
意義と影響
ノモンハン事件は、その後の日本の軍事戦略に大きな影響を与えました。
- 日本:
- ソ連軍の機械化された兵力、特に戦車や航空機の優位性を痛感し、今後の対ソ戦の困難さを認識しました。
- これにより、従来の「北進論」(ソ連への侵攻)から「南進論」(東南アジアへの進出)へと国策が転換する大きな要因となりました。
- 陸軍内部では、装備の近代化の遅れや、情報分析能力の欠如などが問題点として浮上しました。
- ソ連:
- 極東における日本の脅威を排除し、対独戦に集中できる環境を整えました。
- ゲオルギー・ジューコフ将軍の指揮能力が評価され、後の独ソ戦で活躍するきっかけとなりました。
ノモンハン事件は、第二次世界大戦勃発直前の時期に発生した大規模な近代戦であり、その後の国際情勢、特に日本の対外戦略に決定的な影響を与えた重要な事件です。
