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くじ引きで選ばれたことでも有名な室町時代の将軍は誰?
- 足利義昭
- 足利義政
- 足利義教
- 足利義輝
足利義教(あしかが よしのり)は、室町幕府の第6代将軍(在職:1429年 – 1441年)です。その強引な政治手法から「万人恐怖(ばんにんきょうふ)」や「悪御所(あくごしょ)」と評され、最期は暗殺されるという劇的な生涯を送りました。
生い立ちと将軍就任
- 異色の経歴: 3代将軍足利義満の子として生まれましたが、幼少時に出家し、比叡山延暦寺のトップである天台座主(てんだいざす)を務めていました。本来は将軍職を継ぐ立場ではありませんでした。
- くじ引き将軍: 兄である4代将軍足利義持が後継者を指名しないまま死去したため、くじ引きによって将軍に選ばれ、還俗して足利義教と名乗りました。この異例の経緯から、「くじ引き将軍」とも呼ばれます。
政治と「万人恐怖」
義教は、父義満のような強力な将軍権力を確立することを目指しました。その政治手法は非常に強権的で、以下のような特徴がありました。
- 守護大名への介入: 幕府の権威を強化するため、有力な守護大名の家督相続に積極的に介入し、将軍の意に沿わない者を排除したり、家を断絶させたりするなど、冷徹な姿勢で臨みました。これにより、守護大名の力を削ぎ、将軍直轄の支配を強めようとしました。
- 強大な将軍権力: 幕府内部においても、管領(三管領:斯波氏、細川氏、畠山氏)や奉行衆といった重臣たちの意見を聞き入れず、独裁的な政治を進めました。
- 永享の乱と鎌倉公方打倒: 関東を支配していた鎌倉公方足利持氏が幕府に反抗的な態度を取ると、義教はこれを討伐し、足利持氏を滅ぼしました(永享の乱)。これにより、将軍権力の全国への浸透を図りました。
- 寺社勢力への統制: 権力を持つ寺社に対しても容赦なく介入し、比叡山延暦寺を攻めたり、日蓮宗の僧侶を弾圧したりしました。
- 「万人恐怖」: その苛烈で容赦ない政治手法は、公家や守護大名、寺社勢力など、あらゆる階層の人々に恐怖を与え、「万人恐怖」と称されました。
最期と嘉吉の乱
義教の強権政治は、周囲の反感を募らせていきました。そして、嘉吉元年(1441年)、自らの所領を脅かされると感じた有力守護大名である**赤松満祐(あかまつ みつすけ)によって、宴席で暗殺されました。これを嘉吉の乱(かきつのらん)**と呼びます。
評価
足利義教の評価は、時代や研究者によって大きく分かれます。
- 従来の評価(暴君説): かつては、恐怖政治を敷いた暴君であり、その暗殺が室町幕府の権威失墜と応仁の乱への遠因となった、という見方が一般的でした。
- 近年の再評価(有能な将軍説): 近年では、義教の政策は幕府の権威を回復し、中央集権体制を確立しようとする意欲的なものであったと再評価する動きも出ています。その強引な手法は、時代の転換期において将軍権力を維持するための必然的なものであったと捉えられたり、後の織田信長などの戦国大名の先駆的な存在として評価されることもあります。彼の死後も、彼が築き上げた幕府の機構が長く機能し続けたことも、その手腕の証拠とされています。
足利義教は、室町幕府の歴史において、将軍権力のあり方を巡る転換点となった人物であり、その生涯と政治は、現代においても様々な視点から議論される興味深い存在です。
