鎌倉時代、迅速な裁判をめざし、御家人たちの領地に関する訴訟を専門に担当させるために「引付衆」を設置した執権は?

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鎌倉時代、迅速な裁判をめざし、御家人たちの領地に関する訴訟を専門に担当させるために「引付衆」を設置した執権は?

  1. 北条泰時
  2. 北条時宗
  3. 北条実時
  4. 北条時頼

【答え】北条時頼

北条時頼(ほうじょう ときより)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府第5代執権(在職:1246年 – 1256年)で、北条氏の権力確立と幕政の発展に大きく貢献した人物です。祖父は第3代執権の北条泰時、父は北条時氏、母は松下禅尼(安達景盛の娘)です。

主な功績と人物像

  • 北条氏の権力確立と幕府体制の強化:
    • 1246年、兄である第4代執権・北条経時の病死により、20歳で執権に就任しました。
    • 就任直後には、前将軍・九条頼経や北条一門の名越光時(なごえ みつとき)による反北条勢力の陰謀を鎮圧し、翌年には有力御家人である三浦氏を滅ぼした「宝治合戦(ほうじかっせん)」で勝利を収め、北条氏(特に得宗家)の専制的な地位を確立しました。
    • 1252年には、摂家将軍であった九条頼嗣(よりつぐ)を京都へ追放し、皇族出身の宗尊親王(むねたかしんのう)を将軍として迎えることで、将軍の権限をさらに抑制し、北条氏の支配を強固なものとしました。
    • 1249年には、訴訟の迅速化と公正化を図るため、裁判制度である「引付衆(ひきつけしゅう)」を設置し、幕府の統治機構を整備しました。
  • 仁政と仏教への信仰:
    • 質素倹約を重んじ、御家人や民衆の保護に努めるなど、仁政を行ったとされています。
    • 深く禅宗に帰依し、中国・宋から蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)を招いて鎌倉に建長寺を建立しました。これは日本初の禅宗専門道場として知られています。
    • 30歳で病を患った際に出家し、法号を道崇(どうすう)、号を最明寺殿(さいみょうじどの)としました。執権職は譲りましたが、その後も幕政に深く関与しました。
    • 「諸国遍歴(しょこくへんれき)の伝説」があり、身分を隠して諸国を巡り、民情を視察したという逸話が残されていますが、これは史実ではなく、彼が善政に努めたことの証しとして後世に語り継がれたものと考えられています。
  • 家族構成:
    • 父:北条時氏
    • 母:松下禅尼(安達景盛の娘)
    • 子:北条時宗(第8代執権)、北条時輔(庶長子)、北条宗政、北条宗頼など
  • 生没年:
    • 1227年5月14日 – 1263年11月22日(享年37歳)

関連史跡

  • 建長寺(鎌倉市): 北条時頼が建立した日本初の禅宗専門道場。
  • 明月院(鎌倉市): 北条時頼が隠居した最明寺の跡地に、子の北条時宗が再興した寺院。時頼の墓所も伝わっています。
  • 銭洗弁財天宇賀福神社(鎌倉市): 源頼朝が創建し、北条時頼が銭を洗って一族繁栄を祈ったとされる神社。
  • 最明寺(伊豆の国市): 北条時頼の墓がある場所の一つ。

北条時頼は、兄の早世により若くして執権となりましたが、その卓越した政治手腕により北条氏の得宗支配を確立し、鎌倉幕府の安定に大きく貢献しました。また、禅宗への深い信仰心も持ち合わせた、文武両道の人物として評価されています。

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