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鎌倉時代に,北条義時を討つよう命令を出した上皇は誰?
- 後鳥羽上皇
- 後白河上皇
- 崇徳上皇
- 白河上皇
後鳥羽上皇(1180年 – 1239年)は、鎌倉時代初期の天皇であり、承久の乱を起こしたことで知られる人物です。彼は、武家政権が力を増していく時代において、朝廷の権威回復を目指した人物として、政治的にも文化的にも大きな足跡を残しました。
人物像と政治
- 文武両道の多才な人物: 後鳥羽上皇は、和歌、音楽、蹴鞠(けまり)といった公家の教養だけでなく、武芸にも秀でていました。特に、刀剣制作には熱心で、自ら作刀を行ったという逸話も残されています。これは、平安時代の貴族には見られない、型破りな人物像でした。
- 朝廷の権威回復への強い意志: 彼は、源平合戦の混乱の中で即位し、三種の神器を持たずに天皇になったという引け目があったとされています。このため、強力な王権を内外に示す必要性を感じ、朝廷の権力を回復するために積極的に行動しました。
- 院政の確立: 19歳で退位して上皇となって以降、3代の天皇にわたって院政を敷き、政治の実権を握りました。この「後鳥羽一強体制」は、院政の完成形とも評価されています。
承久の乱とその影響
- 北条義時追討の挙兵: 源氏将軍が絶え、執権の北条義時が鎌倉幕府の実権を握ると、後鳥羽上皇は武家政権が朝廷の権力を凌駕することに危機感を覚えました。そこで、義時追討の「院宣」を発し、鎌倉幕府打倒を試みました。これが「承久の乱」です。
- 幕府の勝利と上皇の配流: 後鳥羽上皇は、諸国の武士が自身の命令に従って集結すると確信していましたが、北条政子の演説などにより、多くの御家人が幕府側につきました。結果的に朝廷軍はわずか1カ月ほどで敗北し、後鳥羽上皇は隠岐(現在の島根県)へ配流(島流し)されることになりました。
- 承久の乱の歴史的意義: 承久の乱は、朝廷と武家政権が初めて本格的に武力衝突した戦いです。この戦いでの朝廷の敗北は、武家政権の優位を決定づけ、その後の約650年続く武家社会の礎となりました。
文化への功績
- 『新古今和歌集』の編纂: 後鳥羽上皇は、和歌を愛し、優れた歌人たちを集めて「和歌所」を設置しました。そして、藤原定家らに命じて、日本文学史を代表する歌集の一つである『新古今和歌集』を編纂させました。
- 隠岐での晩年: 隠岐に流されてからの19年間も、歌作を続け、『遠島御百首』などの歌集を残しました。この地で文化的な活動を続けることで、後世に大きな影響を与え、現在でも「ごとばんさん」の愛称で親しまれています。
