江戸時代、「富嶽三十六景」を描いた浮世絵師は?

ポイントタウンのクイズと答えで「江戸時代、「富嶽三十六景」を描いた浮世絵師は?」を正解してポイントをゲットしてポイ活を楽しみませんか?

江戸時代、「富嶽三十六景」を描いた浮世絵師は?

  1. 歌川広重
  2. 喜多川歌麿
  3. 葛飾北斎
  4. 東洲斎写楽

【答え】 葛飾北斎

葛飾北斎(かつしかほくさい、1760年 – 1849年)は、江戸時代後期の浮世絵師で、その革新的な画風と精力的な創作活動により、世界的に最も有名な日本人画家の一人として知られています。

生涯と多様な画号

北斎は生涯で30回以上も画号(ペンネーム)を改名し、93回もの引っ越しを行ったという異色の経歴を持ちます。これは、常に新しい画風を追求し、一つの場所に留まらない彼の求道的な姿勢を表しています。

  • 幼少期〜入門: 1760年(宝暦10年)、現在の東京都墨田区に生まれました。幼い頃から絵に興味を持ち、14歳の頃には版木彫りの仕事をしていました。19歳で浮世絵師の勝川春章に弟子入りし、「春朗(しゅんろう)」の画号で役者絵などを描き始めました。
  • 独立と多様な探求: 30代半ばで勝川派を離れ、独自の道を歩み始めます。この頃から「宗理(そうり)」の画号を用いるようになり、琳派(りんぱ)の影響を受けつつも、狂歌摺物(きょうかすりもの)や絵本の挿絵など、幅広いジャンルを手がけました。また、西洋画や中国画の技法も独学で学び、遠近法などを積極的に取り入れました。
  • 「北斎漫画」の誕生: 50代に入ると、「戴斗(たいと)」などの画号を使用し、絵手本の制作に注力します。この時期に、現在の「ホクサイ・スケッチ」として世界的に有名な『北斎漫画』の制作が始まりました。これは、あらゆるものの形や動きを、ユーモラスかつ的確に捉えたスケッチ集で、絵を学ぶ人だけでなく、一般の人々にも愛されました。
  • 晩年の傑作群: 70歳を過ぎて「為一(いいつ)」の画号を使用する頃には、彼の芸術性は頂点に達します。この時期に、代表作である**『富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』**シリーズが制作されました。さらに晩年、90歳で亡くなる直前まで「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)」と名乗り、肉筆画を中心に精力的に創作を続けました。

代表作

葛飾北斎の作品は多岐にわたりますが、特に有名なものとして以下のシリーズが挙げられます。

  • 『富嶽三十六景』: 富士山をテーマにした連作浮世絵で、北斎の代表作中の代表作です。
    • 「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」: 荒々しい大波と、その向こうに小さく見える富士山が印象的な作品。世界的にも最も有名な浮世絵の一つです。
    • 「凱風快晴(がいふうかいせい)」: 通称「赤富士」。夏から秋にかけての早朝、富士山が赤く染まる様子を大胆な構図と色彩で描いています。
    • 「山下白雨(さんかはくう)」: 富士山の山頂に雷が落ちる様子を描いた作品。
  • 『北斎漫画』: あらゆる事物の形や動きを、写実的かつユーモラスに描いたスケッチ集。後の漫画の語源になったとも言われています。
  • 『諸国滝廻り』『諸国名橋奇覧』『千絵の海』: 風景画の連作で、大胆な構図と西洋画の遠近法を取り入れた独自の表現が特徴です。
  • 肉筆画: 晩年には、虎や鳳凰などの大作の肉筆画も多く残しています。

画風の特徴

北斎の画風は、その生涯を通じて常に変化し、特定の流派に縛られない自由な探求心に満ちています。

  • 卓越した描写力と観察眼: 人物、動物、自然の風景、日常生活など、あらゆるものを克明に描写する力が群を抜いていました。『北斎漫画』はその最たる例です。
  • 大胆な構図: 『富嶽三十六景』に代表されるように、手前に大きなモチーフを配し、遠景に富士山を置くなど、見る者を惹きつける斬新でダイナミックな構図を多用しました。
  • 西洋画の取り入れ: 遠近法や陰影表現など、西洋画の技法を積極的に学び、浮世絵に取り入れたことで、従来の日本の絵画にはなかった奥行きや立体感を生み出しました。
  • 色使い: 特に『富嶽三十六景』で用いられた、当時輸入され始めたばかりの「ベロ藍(プルシアンブルー)」という鮮やかな青色を効果的に使い、作品に深みとインパクトを与えました。
  • ユーモアと諷刺: 『北斎漫画』に見られるように、庶民の生活や風俗をユーモラスに、時には諷刺的に描くことも得意でした。

エピソード

北斎には、その並外れた才能と個性を示す数々の逸話が残されています。

  • 画狂老人卍: 90歳で亡くなる直前まで絵を描き続け、「あと5年長く生きられたら、絶対おれは本物の絵師になれるのに……」と悔やんだという逸話は有名です。まさに「画狂」と呼ぶにふさわしい求道的な姿勢を示しています。
  • 転居魔、掃除嫌い: 生涯で93回も引っ越したと言われています。掃除をほとんどせず、家がゴミ屋敷のようになると引っ越していたという逸話もあり、絵以外の生活には無頓着だったとされます。
  • お金に無関心: 高額な依頼を受けても絵を描かず、お金を置いていかれても気にしなかったり、給料袋ごと出前に投げて渡したりするほどの金銭感覚の持ち主だったと言われています。
  • 奇行: 人に話しかけられたくないため、歩くときには常にぶつぶつと呪文を唱えていたなど、数々の奇行が伝えられています。
  • 娘・応為(おうい)との関係: 娘の葛飾応為も優れた絵師であり、北斎の晩年の制作を支え、共同で作品を制作することもあったと言われています。彼女自身の作品も高く評価されています。

海外への影響と評価(ジャポニスム)

北斎の作品は、19世紀後半に日本の開国とともに海を渡り、ヨーロッパの芸術界に大きな影響を与えました。この現象は**「ジャポニスム」**と呼ばれ、特にフランスの印象派の画家たち(モネ、ゴッホ、ドガなど)やアール・ヌーヴォーの芸術家たち(ミュシャなど)に強い衝撃を与えました。

  • 大胆な構図と色使い: 西洋絵画にはなかった浮世絵の大胆な構図や平面的な表現、鮮やかな色彩は、西洋の画家たちに新たな視点をもたらしました。
  • 連作の手法: 『富嶽三十六景』のように、一つの主題を複数の作品で表現する「連作」という手法は、モネの『積み藁』や『ルーアン大聖堂』などの連作にも影響を与えたと言われています。
  • 日常風景の描写: 従来の西洋画が歴史画や宗教画を重視していたのに対し、浮世絵が描いた庶民の生活や日常の風景は、印象派の画家たちが身近な題材を描くきっかけにもなりました。
  • 世界的な評価: 1999年にはアメリカの雑誌『ライフ』誌で「この1000年で最も偉大な功績を残した世界の人物100人」に、日本から唯一選出されるなど、日本国内以上に海外で「世界的な天才画家」として非常に高く評価されています。

葛飾北斎は、その探求心と類まれな才能によって、日本の芸術を新たな高みへと引き上げ、さらに海を越えて世界の芸術に多大な影響を与えた、まさに「画狂」と呼ぶにふふさわしい偉大な芸術家です。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!