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鎌倉時代に,武家としての最初の体系的法律である「御成敗式目」を出した執権は誰でしょう?
- 北条泰時
- 北条時宗
- 北条高時
- 北条早雲
御成敗式目(ごせいばいしきもく)は、1232年(貞永元年)に鎌倉幕府の執権、**北条泰時(ほうじょう やすとき)**によって制定された、日本で最初の武家法です。
制定の背景と目的
鎌倉幕府は源頼朝によって開かれましたが、頼朝の死後、源氏の将軍は途絶え、幕府の実権は北条氏が握るようになります。特に、1221年(承久3年)の承久の乱で幕府が朝廷を打ち破ったことで、幕府の支配力は全国に及び、多くの所領をめぐる紛争が発生しました。
それまでの日本には、朝廷が定めた律令(公家法)や荘園領主が定めた本所法がありましたが、これらは武士社会の慣習や実情に合わない部分が多く、地方の武士にとって理解しにくいものでした。
そこで、北条泰時は、こうした複雑な状況に対応し、全国の武士(御家人)を統制し、公正な裁判を行うための明確な基準が必要だと考えました。この目的のために、源頼朝以来の武家社会の慣習や道徳である「道理」を基準として、御成敗式目が制定されました。
主な内容(全51箇条)
御成敗式目は全51箇条から構成されており、多岐にわたる内容が規定されています。主な内容は以下の通りです。
- 御家人の権利・義務の明確化:御家人の所領に関する権利(悔返権など)や、幕府に対する義務(大番役など)が定められました。
- 所領相続の規定:土地の相続に関する紛争を解決するための具体的なルールが設けられました。
- 刑事罰の規定:殺人、窃盗、強姦などの犯罪に対する罰則が定められました。特に、道路上での女性の拉致の禁止や、新たな人身売買の禁止なども含まれていました。
- 訴訟手続きの明確化:裁判を公正に進めるための手順や、証拠、証人の扱いなどが定められました。有力者の口利きや偽証を排除する規定もありました。
- 守護・地頭の職務権限の規定:地方に派遣された守護や地頭が、その権限を越えて勝手な支配を行ったり、年貢を横領したりすることを禁じました。
- 道理の重視:武家社会における「健全な常識」や、公平・公正な判断を重んじる姿勢が貫かれています。
意義と影響
御成敗式目は、その後の日本史に大きな影響を与えました。
- 日本初の武家法:武士のための統一的な成文法として、武士社会の秩序維持に貢献しました。
- 武家政権の独立性の宣言:朝廷が定めた律令や公家法とは異なる、武家独自の法体系を確立したことで、鎌倉幕府が法的に独立した政権であることを示しました。
- 「道理」の重視:武士の慣習や実情に即した「道理」を法の基本理念としたことで、武士たちに広く受け入れられ、後の時代の武士の規範にもなりました。
- 後の武家法への影響:室町幕府の「建武式目」や、江戸幕府の「武家諸法度」など、後の武家法の制定に大きな影響を与えました。
- 庶民への浸透:幕府の支配が及ぶ範囲では、武士だけでなく庶民にも影響を与え、寺子屋の教科書として使われるなど、広く一般にも知られるようになりました。
御成敗式目は、鎌倉幕府の統治を安定させ、武士社会に法と秩序をもたらした、非常に重要な法律です。

