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アメリカ合衆国の独立宣言が採択された日はいつですか?
- 1776年7月4日
- 1783年7月4日
- 1775年6月14日
- 1789年7月4日
アメリカ合衆国の独立宣言は、1776年7月4日に採択されましたが、その背景には、イギリス本国と北米の13植民地の間の長年にわたる政治的・経済的な対立と、啓蒙思想の影響がありました。
主な背景としては、以下の点が挙げられます。
- フレンチ・インディアン戦争(七年戦争)とその後の財政難:
- 1754年から1763年にかけて行われたフレンチ・インディアン戦争(ヨーロッパでは七年戦争として知られる)は、イギリスとフランスが北米の覇権を争ったもので、イギリスが勝利し、北米におけるフランスの勢力を排除しました。
- しかし、この戦争はイギリスに莫大な戦費をもたらし、深刻な財政難に陥りました。イギリス政府は、この戦費を補填するため、植民地にも負担を求めるようになります。
- イギリスによる植民地への課税強化と不満の高まり:
- 戦費調達のため、イギリス本国は植民地に対して新たな税金や規制を次々と課しました。
- 砂糖法(1764年): 糖蜜や砂糖などに対する関税を強化。
- 印紙法(1765年): 新聞、パンフレット、法律文書、トランプなど、あらゆる印刷物に印紙を貼ることを義務付け、税金を課しました。これは植民地の言論や出版の自由を脅かすものとして、激しい反発を招きました。
- タウンゼント諸法(1767年): ガラス、鉛、塗料、紙、茶などへの輸入関税を課しました。
- 植民地住民は、「代表なくして課税なし(No taxation without representation)」をスローガンに掲げ、イギリス議会に植民地の代表がいないのに税金を課されるのは不当だと主張し、抵抗運動を展開しました。
- 戦費調達のため、イギリス本国は植民地に対して新たな税金や規制を次々と課しました。
- ボストン茶会事件(1773年):
- タウンゼント諸法のうち茶に対する関税だけが残され、さらに東インド会社に茶の独占販売権が与えられたことで、植民地の茶商人は打撃を受けました。
- これに抗議するため、ボストン市民がインディアンに扮して茶を積んだ船を襲撃し、大量の茶葉を海に投げ捨てるという事件が起きました。
- この事件に対し、イギリスはボストン港閉鎖やマサチューセッツ州自治権剥奪などの「耐え難き諸法(Intolerable Acts)」と呼ばれる強硬な措置で報復しました。
- 啓蒙思想の影響:
- ジョン・ロックの社会契約説や自然権思想が、植民地の知識人や指導者たちに大きな影響を与えました。
- ロックは、人々は生まれながらにして生命、自由、財産などの不可侵の権利(自然権)を持ち、政府はこれらの権利を守るために人民の同意に基づいて存在するべきだと説きました。もし政府がその目的から逸脱し、人民の権利を侵害するならば、人民には政府を変革し、廃止する権利(革命権)があると考えました。
- 独立宣言は、これらの思想を基盤とし、イギリス国王ジョージ3世による「繰り返される傷害と強奪」を非難し、植民地が独立する正当性を主張するものでした。
- 大陸会議の開催と武力衝突:
- イギリスの強硬策に対し、植民地は団結を強め、1774年に第1回大陸会議を開催し、イギリスへの抵抗を宣言しました。
- 1775年4月には、レキシントン・コンコードの戦いが勃発し、ついに武力衝突が始まり、アメリカ独立戦争へと発展しました。
- 戦火が拡大する中で、1776年6月にヴァージニア植民地代表のリチャード・ヘンリー・リーが「これらの連合植民地は自由にして独立した国家であるべきである」という決議案を提出し、7月2日にこれが可決されました。
- そして、トーマス・ジェファソンを中心に起草された独立宣言が、7月4日に大陸会議で採択されたのです。
これらの背景により、植民地住民の不満は頂点に達し、最終的にイギリスからの独立を決意するに至りました。独立宣言は、単なる独立の声明に留まらず、人類普遍の権利を謳い、後のフランス革命など世界中の民主化運動に大きな影響を与えることになります。
