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日本において最初に記された歴史書は何ですか?
- 日本書紀
- 古事記
- 万葉集
- 平家物語
日本において最初に記された歴史書は『古事記(こじき)』です。
『古事記』について
『古事記』は、712年(和銅5年)に太安万侶(おおのやすまろ)によって編纂され、元明天皇に献上されました。上巻、中巻、下巻の三巻から構成されており、日本の神話、古代の歴史、歌謡などが記されています。
編纂のいきさつ(背景と目的)
『古事記』が編纂された背景には、いくつかの重要な要因があります。
- 国家の統一と正当化の必要性:
- 7世紀後半から8世紀初頭にかけて、日本では中央集権的な律令国家体制が確立されつつありました。大和朝廷は日本列島の各地を統一し、天皇を中心とする支配体制を確立しようとしていました。
- この新しい国家体制を内外に示すためには、その正統性を裏付ける歴史と神話が必要でした。天皇が神々の末裔であること、日本という国が神々によって作られた神聖な国であることなどを語ることで、天皇の権威を高め、支配の正当性を確立しようとしたのです。
- 伝承の散逸を防ぐため:
- それまで、天皇の系譜や国家の起源に関する物語は、各豪族が持つ口頭伝承や、天皇家の系譜を記した「帝紀(ていき)」、神話や伝説を記した「旧辞(くじ)」といった形で伝えられていました。しかし、これらは記録が不十分であったり、食い違いがあったりして、次第に散逸したり、改竄される恐れがありました。
- 天武天皇は、こうした伝承が失われることを憂慮し、正しい歴史と伝承を後世に残すことの重要性を認識していました。
- 天武天皇の命:
- 『古事記』の序文によると、編纂を命じたのは天武天皇(在位673年〜686年)です。天武天皇は、様々な異なる伝承を吟味し、正しいものを選定して、国の成り立ちと天皇の系譜を明確にするよう命じました。
- そこで、特に記憶力の優れた舎人(とねり)の稗田阿礼(ひえだのあれ)に「帝紀」と「旧辞」を誦習(しょうしゅう:暗記して唱えること)させました。しかし、天武天皇が崩御したため、編纂作業は一時中断されます。
- 元明天皇による再開と太安万侶の起用:
- 天武天皇の死から約20年後、元明天皇(在位707年〜715年)の時代になり、再び歴史書編纂の機運が高まりました。
- 711年(和銅4年)、元明天皇は、稗田阿礼が誦習した内容を筆録・整理するよう太安万侶に命じました。
- 太安万侶は、稗田阿礼の記憶を基に、日本の漢字の音訓を巧みに使い分け、物語を記述しました。特に上巻の神話部分は、漢字の音を借りて日本語の音そのままを表現する「万葉仮名」を多用することで、当時の言葉のニュアンスや歌謡のリズムを忠実に伝えようとしました。
『日本書紀』との違い
日本には、『古事記』の8年後に編纂された『日本書紀(にほんしょき)』というもう一つの初期の歴史書があります。『日本書紀』は720年(養老4年)に完成し、漢文の正史として編纂されました。
- 目的と記述方法の違い:
- 『古事記』: 主に国内向けに、天皇の系譜や神話・伝説を、物語としての面白さを重視し、日本語の表現を大切にして記述されました。
- 『日本書紀』: 対外的な意識も持ち、漢文による正史の形式で記述され、より史実性を重視した内容となっています。複数の伝承を併記する「一書に曰く(あるふみにいわく)」といった記述も見られます。
このように、『古事記』は、日本の国家形成期において、その正当性を確立し、失われゆく伝承を後世に伝えるという重要な使命を帯びて編纂された、日本最古の歴史書です。