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中世ヨーロッパで「傭兵」とはどのような存在を指すか?
- 専門職の兵士
- 農民
- 商人
- 貴族
中世ヨーロッパにおける「傭兵」は、金銭的な報酬と引き換えに軍事サービスを提供する兵士や部隊を指します。封建制の崩壊と中央集権化が進む中で、その存在感は増していきました。
傭兵の登場と背景
中世初期の戦争は、主に封建領主が農民や騎士を動員する形で成り立っていました。しかし、中世後期になると、以下のような理由から傭兵の需要が高まります。
- 封建的な軍役の限界: 封建的な軍役は、動員期間が限定されていたり、領主の領地から遠く離れた場所での戦闘に抵抗があったりするなど、柔軟性に欠けていました。例えば、諸侯が王に対して軍事力を行使できる期間は年間40日までといった慣習もありました。
- 都市国家・富裕な貴族の台頭: イタリアの都市国家やフランドルの都市のように、経済力を持ちながらも独自の軍事力を十分に持たない勢力が現れました。彼らは、自国の市民を徴兵するよりも、専門的な訓練を受けた傭兵を雇う方が効率的だと考えました。
- 軍事技術の専門化: 鎧の重装化、火器の導入、戦術の複雑化など、軍事技術が高度化するにつれて、専門的な訓練を受けた兵士の必要性が高まりました。騎士中心の戦いから、歩兵や弓兵の重要性が増す中で、訓練された傭兵部隊が有利となりました。
- 社会情勢の変化: 経済的困窮から、兵役を金銭を得る手段と考える人々が増えました。また、下級貴族の次男・三男など、家督を継げない者が傭兵隊長となるケースも多く見られました。
傭兵の種類と特徴
中世ヨーロッパには、様々な種類の傭兵が存在しました。
- スイス傭兵(Reisläufer): 15世紀から18世紀にかけて特に有名で、アルプス山脈の貧しい山岳国であるスイスにとって、傭兵の輸出は重要な産業でした。長槍やハルバードを装備し、密集隊形(ファランクス)による強固な歩兵戦術で知られ、その規律と忠誠心は高く評価されました。フランス王やローマ教皇(現在のバチカン衛兵もスイス傭兵の伝統を継ぐ)に雇われることが多かったです。時には敵味方が双方スイス傭兵を雇い、スイス傭兵同士が戦うという皮肉な状況も生まれました。
- ランツクネヒト(Landsknecht): ドイツの傭兵で、スイス傭兵に対抗して神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の指導のもとで組織されました。スイス傭兵の戦術を模倣しつつ、派手な服装と二刀流などの独自性も持ち、後にヨーロッパ中で活躍しました。
- コンドッティエーレ(Condottiere): ルネサンス期のイタリアで活躍した傭兵隊長とその部隊を指します。契約(コンドッタ)を結び、自らの部隊を率いて各地の都市国家や諸侯に仕えました。中には、傭兵隊長から領主(例:フランチェスコ・スフォルツァなど)に成り上がった者もいました。彼らは自軍の温存を優先し、野戦での決戦を避ける傾向があったとも言われますが、軍事技術の専門化に対応していた側面もあります。
- フリーカンパニー(Free Companies): 戦争がない時期に解雇された傭兵たちが、集団で略奪行為を行う武装集団となることがありました。彼らは時には国家を脅かす存在となり、新たな雇用先を探すこともありました。
雇用形態と報酬
傭兵の雇用は、通常、傭兵隊長と雇い主(国王、領主、都市など)との間で契約(コンドッタ)が結ばれました。
- 契約内容: 期間、報酬(金銭、食料、略奪品からの分配など)、兵の数、提供する軍事サービスの内容などが定められました。
- 報酬: 傭兵は、その危険な職業に見合う高い報酬を要求することがありました。報酬は、現金の前払い、定期的な給金、そして戦争終結後の恩賞などがありました。
- 略奪: 傭兵にとっては略奪も重要な収入源となることが多く、時には雇い主の意図を超えて、占領地や通過地の住民に被害を与えることも少なくありませんでした。
傭兵の社会的位置づけと評価
傭兵は、その存在が非常に矛盾したものでした。
- 軍事専門家としての評価: 訓練されたプロの兵士として、戦場での実績は高く評価されました。特に専門的な軍事技術を持つ傭兵は重宝されました。
- 信頼性の問題: 金銭で雇われるため、忠誠心が薄いと見なされることもありました。報酬次第で雇い主を変えたり、契約を反故にしたり、あるいは戦闘中に裏切ったりするケースも存在しました。特に戦争が終結し、彼らが解雇された後には、食い詰めて野盗化することも社会問題となりました。
- 社会の底辺から成り上がる機会: 傭兵は、身分社会において、低い身分の者でも実力次第で富と名声を得る機会を与えました。
- 社会への影響: 大規模な傭兵部隊の移動は、食料の供給を必要とし、周囲の農村に大きな負担をかけました。また、略奪行為は一般市民に多大な苦痛を与えました。
傭兵の終焉
中世後期から近世にかけて、火器の発達や軍事組織の近代化が進み、各国で常備軍の整備が本格化すると、傭兵の重要性は次第に低下していきました。特にフランス革命における徴兵制の導入と国民軍の創設は、傭兵の時代に決定的な終止符を打ちました。国民軍は、祖国への忠誠心と愛国心に基づいた兵士で構成され、傭兵とは異なる理念を持つ軍隊へと移行していきました。
しかし、現代においても「民間軍事会社(PMC)」という形で、形を変えた傭兵の存在が見られます。中世の傭兵は、時代の変化と軍事技術の進歩の中で生まれ、その役割を終えていきましたが、当時の社会と戦争に大きな影響を与えた存在でした。