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スペインの「フラメンコ」はどのような形態の表現ですか?
- 舞踏
- 音楽
- 絵画
- 彫刻
フラメンコは、スペイン南部アンダルシア地方で育まれた、歌(カンテ)、踊り(バイレ)、ギター演奏(トケ)が一体となった複合芸術です。その歴史は複雑で、多様な文化が融合して形成されてきました。
フラメンコの起源と形成期 (15世紀末〜18世紀)
フラメンコのルーツは、15世紀末にインドからヨーロッパに移住してきたロマ(ジプシー)の人々が、アンダルシア地方に定住したことに深く関係しています。彼らが持っていた音楽的伝統と、アンダルシアに元々あった様々な文化が融合することで、フラメンコの原型が形成されていきました。
- 多様な文化の融合:
- ロマ(ジプシー)の文化: 彼らが中央アジアや中東を経由して持ち込んだとされる独自の歌唱法、リズム感、即興性、そして抑圧された生活の中で培われた感情表現は、フラメンコの核を成しています。
- アンダルシア土着の文化: 古くからあった民謡や舞踊(フォンダンゴなど)が影響を与えました。
- イスラム文化: 約800年続いたイスラム支配の影響で、アラブ・アンダルシア音楽の旋律や、アラビア語に由来する言葉が残っているとされます。
- ユダヤ文化: セファルディム・ユダヤ人の音楽も、一部影響を与えた可能性があります。
- キリスト教文化: カトリック教会の聖歌や儀式音楽からの影響も考えられます。
この時期は、フラメンコがまだ「フラメンコ」という明確な名称を持たず、民衆の間で自然発生的に育まれていった時代です。特に、ロマの人々が迫害され、共同体の中で歌や踊りによって感情を表現し、連帯を強めていった側面が強いです。
カフェ・カンタンテ時代 (19世紀中頃〜20世紀初頭)
19世紀に入ると、フラメンコはより大衆的な芸能として発展します。
- 「カフェ・カンタンテ」の登場: 1840年代頃から、セビージャやカディスといった都市に、歌や踊りが披露される酒場「カフェ・カンタンテ(Café Cantante)」が登場しました。それまで家族や共同体の間でひっそりと行われていたフラメンコが、観客の前で演じられるようになり、プロのアーティストが誕生しました。
- フラメンコの確立: この時期に、歌、踊り、ギターという現在のフラメンコの基本形式が確立され、特定の曲種(パロ)や形式が整理されていきました。ギターが伴奏楽器として重要な位置を占めるようになったのもこの頃です。
- 批判と変革: 一方で、商業化や大衆化が進む中で、伝統的なフラメンコが変質したという批判も生まれました。特に知識人の間では、純粋なフラメンコの精神が失われたとして、「フンダメンタリスト(純粋主義者)」と呼ばれる人々が伝統回帰を唱えました。
劇場・タブラオ時代、そして世界的芸術へ (20世紀初頭〜現在)
20世紀に入ると、フラメンコはさらに多様な発展を遂げ、世界的な芸術としての地位を確立していきます。
- オペラ・フラメンカ: 1920年代には、より大規模な劇場で上演される「オペラ・フラメンカ」という形式が登場しました。これは、一般の観客にも分かりやすいよう、物語性を持たせたり、オーケストラと共演したりする試みでした。しかし、これも純粋主義者からは批判の対象となりました。
- フラメンコの再評価と研究: 純粋主義者の動きは、1922年にグラナダで開催された「コンクルソ・デ・カンテ・ホンド(深遠なる歌のコンクール)」に結実しました。これは、作曲家マヌエル・デ・ファリャや詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカといった知識人が、失われつつあった伝統的なフラメンコを保護・振興するために企画したもので、フラメンコが芸術としての価値を再認識されるきっかけとなりました。
- タブラオの隆盛: 第二次世界大戦後、スペインの観光業が発展する中で、カフェ・カンタンテに代わって「タブラオ」と呼ばれるフラメンコ専門のショーハウスが各地に登場しました。タブラオは、海外からの観光客がフラメンコに触れる主要な場となり、フラメンコの普及に貢献しました。
- 革新と多様化: 20世紀後半には、パコ・デ・ルシア(ギター)、カマロン・デ・ラ・イスラ(歌)といった革新的なアーティストが登場し、ジャズやクラシック、ロックなどの要素を取り入れ、フラメンコに新たな可能性をもたらしました。彼らの活動は、フラメンコの芸術的評価をさらに高め、世界中で人気を集めるきっかけとなりました。
- ユネスコ無形文化遺産: 2010年、フラメンコはユネスコの人類の無形文化遺産の代表的な一覧表に登録され、その文化的価値が国際的に認められました。
まとめ
フラメンコは、ロマの人々を中心に、アンダルシアの多様な民族と文化が交流する中で生まれ、発展してきました。抑圧された歴史の中で培われた魂の叫びと、喜びや情熱が入り混じったその表現は、時代とともに形を変えながらも、常に人々の心を揺さぶり続けています。現代では、伝統を重んじながらも、常に新しい表現を模索する、生きた芸術として世界中で愛されています。