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世界一の面積を持つ国はどこか?
- ロシア
- 日本
- 中国
- カナダ
ロシアが世界最大の面積を持つ国である背景には、歴史上の様々な要因が複雑に絡み合っています。
特に重要なのは、モスクワ大公国を起源とする国家の絶え間ない領土拡大と、広大なシベリアの無主地(に近い状態の土地)への東方進出です。
1. ロシア国家の起源と拡大の萌芽(中世)
- モスクワ大公国の台頭: ロシアの起源とされるのは、9世紀に成立したキエフ・ルーシですが、13世紀以降のモンゴル帝国(タタールのくびき)による支配を経て、15世紀にモスクワ大公国が力をつけ始めます。
- モンゴル支配からの脱却と統合: 1480年、イヴァン3世がタタールのくびきから完全に独立を達成。この頃から、モスクワ大公国は周辺の小公国を次々と併合し、ロシア統一国家としての基盤を固めていきました。この初期の拡大は、主に東ヨーロッパ平原における勢力圏の確立でした。
2. シベリアへの東方進出(16世紀~17世紀)
ロシアの面積が爆発的に拡大する最大の要因となったのが、ウラル山脈を越えたシベリアへの東方進出です。
- 毛皮貿易の魅力: 16世紀後半、イヴァン4世(雷帝)の時代に、毛皮を求める商人やコサック(半軍事的な開拓者集団)がシベリアへと進出し始めます。特に高級毛皮の需要が高まり、これはロシアの財政を潤す重要な資源となりました。
- イェルマークの遠征: 1581年には、コサックの指導者イェルマークがシビル・ハン国(モンゴル系の国家)を滅ぼし、シベリア征服の足がかりを築きました。
- 大河を利用した迅速な拡大: シベリアには、オビ川、エニセイ川、レナ川といった南北に流れる大河が網の目のように存在していました。ロシアの探検家やコサックは、これらの河川を舟で移動しながら東へと急速に勢力を拡大していきました。冬には凍結した河川や陸路を橇(そり)で進み、砦(オストログ)を築いて支配を確立していきました。
- 太平洋への到達: わずか数十年のうちに、ロシア人はウラル山脈から太平洋岸まで、シベリアの広大な土地を横断し、17世紀半ばにはオホーツク海に到達しました。先住民との衝突もありましたが、その数は少なく、広大な無主地に近い状態であったため、比較的容易に広大な土地を獲得することができました。
3. 帝国主義的な拡大(18世紀~19世紀)
ロマノフ朝が成立し、ロシア帝国として近代国家の道を歩む中で、領土拡大の動きはさらに加速しました。
- ピョートル大帝の西方・南方進出: 18世紀初頭のピョートル1世(ピョートル大帝)は、西欧化を推進するとともに、バルト海への進出(北方戦争でスウェーデンから領土を獲得)、黒海への進出など、西と南への拡大も積極的に行いました。これにより、現在のバルト三国の一部やウクライナの一部などを獲得しました。
- エカチェリーナ2世の時代: 18世紀後半のエカチェリーナ2世の時代には、ポーランド分割に参加して広大な領土を得たり、オスマン帝国との戦争で黒海沿岸やクリミア半島を併合するなど、さらなる西方・南方への拡大を進めました。
- 中央アジアへの進出: 19世紀には、中央アジアのハン国を次々と併合し、カスピ海東岸から中国国境に近い地域まで支配を拡大しました。
- アラスカの獲得と売却: 短期間ですが、北米のアラスカもロシア領でしたが、1867年に財政難からアメリカに売却されました(アラスカ購入)。
4. ソビエト連邦時代(20世紀)
- ロシア革命とソ連邦の成立: ロシア革命後、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立しました。ソ連は、かつてのロシア帝国の版図をほぼ継承し、さらに多くの民族が連邦を構成する形で、世界最大の面積を持つ国家となりました。
- 第二次世界大戦後の領土変動: 第二次世界大戦後には、東プロイセンの一部(カリーニングラード州)や南樺太、千島列島などを獲得しましたが、全体としての大きな面積の変動はありませんでした。
まとめ:広大な面積の主な要因
ロシアが世界一の面積を誇るに至った経緯は、以下の要素が複合的に作用した結果と言えます。
- 東方への無主地(に近い土地)の存在: シベリアは、広大でありながら、強力な統一国家が存在せず、毛皮などの天然資源が豊富であったため、ロシアの東方進出が比較的容易かつ迅速に進みました。
- 水系を利用した効率的な拡大: シベリアの大河が、探検や貿易、軍事拠点の建設に効率的な交通路を提供しました。
- 国家の継続的な拡大政策: モスクワ大公国、ロシア・ツァーリ国、ロシア帝国、そしてソビエト連邦と、歴代の政権が国境の安全保障や資源の獲得、帝国としての威信維持のために、絶えず領土拡大を目指しました。
- 地理的・政治的緩衝地帯の確保: 特にヨーロッパ側からの脅威に対して、広大な領土は戦略的な緩衝地帯としての役割も果たしました。
このように、ロシアの広大な面積は、特定の時代の一時的な拡大ではなく、数世紀にわたる計画的かつ偶発的な東方への進出と、西や南への帝国主義的な拡大の結果として形成されてきたものです。