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日本人としてはじめて新婚旅行をしたというエピソードを持っている人物は誰でしょう?

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日本人としてはじめて新婚旅行をしたというエピソードを持っている人物は誰でしょう?

  1. 坂本龍馬
  2. 徳川光圀
  3. 正岡子規
  4. 吉野作造

【答え】 坂本龍馬

坂本龍馬の新婚旅行は、日本の歴史における有名なエピソードの一つで、「日本初の新婚旅行」とも言われています。彼の波乱に満ちた生涯の中で、数少ない穏やかで楽しい時間だったと伝えられています。

新婚旅行の背景と目的

新婚旅行のきっかけは、慶応2年(1866年)1月に京都伏見の寺田屋で龍馬が幕府の捕手に襲撃され、重傷を負ったことにあります。この時、後に妻となるお龍(おりょう)が機転を利かせ、龍馬の命を救ったと言われています。

寺田屋事件後、薩摩藩(現在の鹿児島県)が龍馬を保護し、その藩主である島津久光や家老の西郷隆盛・小松帯刀らの勧めもあって、龍馬は傷の療養のため、お龍とともに薩摩へ旅立つことになりました。これが、結果的に新婚旅行となったのです。

つまり、主な目的は以下の通りです。

期間とルート

龍馬とお龍の新婚旅行は、慶応2年3月頃から約80日間にわたる旅でした。

具体的なルートは以下のようになります。

  1. 京都(伏見)から大坂へ: 負傷した龍馬とお龍は、伏見の薩摩藩邸から船で大坂へ向かいます。
  2. 薩摩藩の船で鹿児島へ: 大坂からは薩摩藩の船「三邦丸」に乗り込み、下関を経由して鹿児島へと向かいます。この船には、小松帯刀ら薩摩藩の要人も同乗していたと言われています。
  3. 鹿児島での滞在: 鹿児島市に到着後、龍馬とお龍は小松帯刀の原良別邸などに約50日間滞在したと伝えられています。
  4. 霧島温泉郷への旅: 療養と静養のため、鹿児島から霧島へ向かいます。
    • 日当山温泉(ひなたやまおんせん): 最初に訪れた温泉地。
    • 塩浸温泉(しおひたしおんせん): ここに最も長く(18日間)滞在し、傷を癒したと言われています。現在「塩浸温泉龍馬公園」として整備されており、龍馬とお龍の像や資料館があります。
    • 霧島温泉:
    • 高千穂峰(たかちほのみね)への登山: 霧島滞在中、二人は高千穂峰にも登り、頂上にある「天の逆鉾(あまのさかほこ)」を引き抜こうとして、天狗に似ていると言って笑い合ったというエピソードが龍馬の手紙に残されています。
    • 霧島神宮への参拝: 旅の途中で参拝したことも伝えられています。
  5. 鹿児島へ戻る: 霧島での滞在を終え、再び浜之市から船で鹿児島へ戻ります。
  6. 薩摩からの帰路: 薩摩から再び船で下関へと戻り、その後、龍馬は京都へと戻っていきます。お龍は安全のために下関に留まり、しばらく離れ離れの生活を送ることになります。

同行者とエピソード

この旅には、薩摩藩士の吉井友実の息子である幸蔵が同行しており、その記録が小説「或日の龍馬」として残されています。

新婚旅行中のエピソードとしては、龍馬が最も楽しんだのは霧島での温泉保養だったと言われています。温泉に浸かりながら、谷川で魚を釣ったり、ピストルで鳥を撃ったりして、人生で最も楽しい時期を過ごしたと伝えられています。高千穂峰での天の逆鉾のエピソードも、彼らが仲睦まじく過ごしたことを示す微笑ましいものです。

「日本初の新婚旅行」の意義

龍馬とお龍の旅が「日本初の新婚旅行」と言われるのは、単なる移動や湯治ではなく、夫婦水入らずで、療養と観光を兼ねて旅行したという点で、現代のハネムーンと共通する要素が多く見られるためです。当時は、結婚式を挙げた夫婦が共に旅に出るという習慣は一般的ではありませんでした。

この旅は、幕末の激動の中で命がけの活動を続けていた龍馬にとって、お龍との絆を深め、心身ともに休養を得るための貴重な時間となりました。そして、彼らがこの旅で見たであろう雄大な自然や、温泉での温かい交流は、その後の龍馬の活動を支える大きな力になったに違いありません。

龍馬はこの新婚旅行から約2年後の慶応3年(1867年)に京都近江屋で暗殺されてしまいますが、お龍との薩摩での旅は、彼の生涯におけるかけがえのない思い出として語り継がれています。

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