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次の中で,1920年に設立された国際連盟の事務局次長になった日本人は?

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次の中で,1920年に設立された国際連盟の事務局次長になった日本人は?

  1. 新渡戸稲造
  2. 吉野作造
  3. 内村鑑三
  4. 尾崎行雄

【答え】 新渡戸稲造

新渡戸稲造(にとべ いなぞう、文久2年8月3日〈1862年9月1日〉 – 昭和8年〈1933年〉10月15日)は、日本の近代化に多大な影響を与えた教育者、思想家、農政学者、そして国際人です。かつて五千円札の肖像としても知られていました。

彼の生涯と功績は多岐にわたり、まさに「太平洋の橋」となることを目指した人物でした。

主な功績と役割

  1. 教育者としての功績
    • 札幌農学校教授: 留学から帰国後、母校である札幌農学校(現・北海道大学)で教鞭をとり、多くの後進を育成しました。
    • 第一高等学校校長: 日本のエリート養成機関であった第一高等学校(現・東京大学教養学部)の校長を務め、単なる専門知識の習得だけでなく、「コモンセンス(常識)」や人格形成を重視する教育を実践しました。
    • 東京女子大学初代学長: 女性教育の重要性を認識し、東京女子大学の初代学長として、女性の自立と教養の向上に尽力しました。
    • 新渡戸文化学園初代校長: 現在の新渡戸文化学園の前身である女子経済専門学校の初代校長も務め、女子教育の発展に貢献しました。
    • 遠友夜学校の設立: 貧困のため学校に通えない子どもたちのために、札幌に遠友夜学校を設立し、教育機会の均等にも尽力しました。
  2. 思想家・著述家としての功績
    • 『武士道』(Bushido: The Soul of Japan)の執筆: 彼の最も有名な著作で、1900年に英文で出版されました。ベルギーの法学者から「日本には宗教教育がないとすると、道徳教育はないのか」と問われたことがきっかけとなり、日本の精神文化である「武士道」の真髄を欧米に紹介し、国際的なベストセラーとなりました。これは、日本文化への理解を深める上で大きな役割を果たしました。
    • キリスト教(クエーカー派)の影響: 札幌農学校時代にキリスト教に出会い、クエーカー派の信仰を持ちました。彼の思想の根底には、平和主義、人道主義、個人の尊厳を重んじる精神がありました。
  3. 国際人・外交官としての功績
    • 国際連盟事務次長: 第一次世界大戦後、世界平和を目指して設立された国際連盟(現在の国連の前身)の事務次長に日本人として初めて就任しました。彼は約7年間この要職を務め、国際組織の土台固めに貢献しました。オーランド紛争の解決や、ユネスコの前身となる「国際知的協力委員会」の設立にも尽力するなど、国際社会における日本の地位向上と世界平和のために活動しました。
    • 日米関係の橋渡し: 太平洋を股にかけて、日米間の相互理解を促進するために講演活動を行うなど、国際交流の先駆者として活躍しました。「太平洋の橋とならん」という彼の言葉は、この国際的な使命感を表しています。
  4. 農政学者としての功績
    • 台湾での糖業発展への貢献: 台湾総督府に勤務し、台湾の糖業発展に大きく貢献しました。「台湾砂糖之父」とも称され、彼の提言が台湾経済の基盤を築く一助となりました。
    • 『農業本論』の執筆: 日本の農業経済学の基礎を築いた一人としても評価されています。

彼の思想的特徴

新渡戸稲造の思想は、東洋と西洋の融合実践的な教育国際協調と平和主義、そして個人の内面と人格形成の重視に特徴があります。彼は、日本の伝統文化の価値を理解しつつ、西洋の優れた学問や思想を積極的に取り入れ、それを日本社会に適合させようと努めました。

「理想を行動に移すことが人生である」という彼の言葉は、単なる知識の吸収に留まらず、それを社会に役立てる実践の重要性を説いています。

新渡戸稲造は、明治から昭和初期にかけて、日本の教育、学術、国際関係の発展に多大な足跡を残した、稀有な「国際人」であり「真の教育者」でした。

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