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1965年、韓国と「日韓基本条約」結んで国交を正常化させたときの首相は?
- 岸信介
- 池田勇人
- 鳩山一郎
- 佐藤栄作
日韓基本条約は、1965年6月22日に日本の佐藤栄作内閣と韓国の朴正煕政権の間で締結された条約で、両国の国交正常化を定めた重要な合意です。この条約締結には、長い歴史的経緯と、双方の国内での激しい反対運動がありました。
日韓基本条約締結までの背景
日韓の国交正常化交渉は、サンフランシスコ講和条約が締結された1951年から始まりました。しかし、植民地支配の清算、李承晩ライン(韓国が一方的に設定した漁業管理線)問題、在日韓国人の法的地位、そして日本の対韓経済協力のあり方など、多くの懸案事項が山積しており、交渉はたびたび中断を繰り返しました。
特に、韓国側は日本に対し「戦勝国」としての立場から賠償を要求し、日本はそれを拒否するなど、請求権問題は最大の懸案でした。
佐藤栄作の役割とエピソード
佐藤栄作は、1964年11月に首相に就任すると、長年の懸案であった日韓関係の正常化に意欲を示しました。彼の政権下で、日韓交渉は大きく進展し、最終的に条約締結に至ります。
- 強行な姿勢と覚悟: 日韓基本条約の締結は、両国国内で激しい反対運動を巻き起こしました。日本では、社会党や共産党が「屈辱外交」と批判し、国会では激しい論戦が繰り広げられました。韓国でも、学生を中心に「屈辱外交反対」を掲げた大規模なデモが発生し、朴正煕政権は軍隊を出動させて鎮圧にあたるほどでした。 佐藤首相は、これらの反対運動を押し切って条約締結に踏み切ります。彼は、冷戦下の東アジアにおける日本の安全保障と経済発展のためには、韓国との関係正常化が不可欠であるという強い信念を持っていたと言われています。国会での強行採決など、かなり強引な手法も用いて交渉妥結にこぎつけた印象があります。
- 椎名外相の訪韓: 佐藤内閣の外務大臣であった椎名悦三郎が1965年2月に韓国を訪問し、基本条約の仮調印を実現させたことは、交渉を大きく前進させる重要なエピソードです。この訪韓が、正式調印への大きなステップとなりました。
- 経済協力の決断: 請求権問題については、日本は韓国に「賠償」ではなく、「経済協力金」という形で無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力を行うことで合意しました。これは、当時の韓国の経済発展に大きな影響を与え、朴正煕政権の開発独裁政策の資金源となり、韓国の経済成長の基礎を築く一助になったとも評価されています。
条約締結後の影響
日韓基本条約の締結により、日韓両国は国交を正常化し、外交関係が開設されました。これにより、両国間の貿易や経済協力が本格化し、現在の日韓関係の基礎が築かれました。一方で、この条約は韓国併合条約の「もはや無効であること」を確認する表現にとどまり、日本の植民地支配の責任の曖昧さや、個人請求権の問題をめぐって、その後も議論が続くことになります。
佐藤栄作は、非核三原則の提唱や沖縄返還などの功績とともに、この日韓基本条約の締結も彼の首相在任中の重要な業績の一つとして記憶されています。
