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1837年に,アメリカの商船が,日本漂流者の送還と日本との貿易開始を交渉するために来日したときに,これを撃退した事件を何と言うでしょう?

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1837年に,アメリカの商船が,日本漂流者の送還と日本との貿易開始を交渉するために来日したときに,これを撃退した事件を何と言うでしょう?

  1. モリソン号事件
  2. フェ―トン号事件
  3. ゴローウニン事件
  4. ノルマント事件

【答え】 モリソン号事件

とりっぷぼうる

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北浜駅
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モリソン号事件は、1837年(天保8年)に日本で起こった、アメリカ商船モリソン号に対する砲撃事件です。この事件は、当時の日本の鎖国政策と、開国を求める外国勢力との間の緊張関係を象徴する出来事であり、後の幕末の動乱に大きな影響を与えました。

事件の概要

  1. モリソン号の来航目的:
    • モリソン号はアメリカの商船で、主な目的は以下の2点でした。
      • 日本人漂流民の送還: マカオで保護されていた日本人漂流民(音吉、庄蔵、寿三郎ら7名)を日本に送り届けること。
      • 通商・布教の打診: 日本との通商関係の樹立と、キリスト教布教の可能性を探ること。
    • モリソン号は非武装の商船であり、友好的な意図を持って来航しました。
  2. 幕府の対応:
    • モリソン号はまず浦賀(現在の神奈川県横須賀市)に来航しましたが、当時の江戸幕府は1825年(文政8年)に発令されていた**異国船打払令(無二念打払令)**に基づいて、モリソン号をイギリスの軍艦と誤認し、浦賀奉行所の砲台から砲撃を行いました。
    • モリソン号は浦賀を退去した後、鹿児島湾(薩摩藩領)にも向かいましたが、ここでも薩摩藩によって砲撃を受け、日本人漂流民を上陸させることもできずに、日本との接触を断念し、マカオへ引き返しました。

事件の背景

  • 異国船打払令: 19世紀に入り、ロシア、イギリス、アメリカなどの外国船が日本の近海に頻繁に出没するようになり、幕府は鎖国体制を維持するため、接近する外国船を理由なく砲撃して追い払うという強硬な方針(異国船打払令)を打ち出していました。モリソン号事件は、この法令が厳格に適用された結果として起こりました。
  • 情報不足と誤解: 幕府側はモリソン号が日本人漂流民を乗せた非武装の商船であり、友好的な目的で来航したことを知りませんでした。イギリスの軍艦と誤認したことも、砲撃の大きな要因となりました。

事件の影響

  1. 国内での批判:
    • モリソン号事件から1年後、オランダ船を通じてモリソン号が日本人漂流民を乗せた非武装の商船であったことが幕府に伝えられると、国内では幕府の対応に対する批判が高まりました。
    • 特に、西洋の事情に詳しい蘭学者たちは、幕府の頑なな鎖国政策と、平和的な来航船を砲撃した対応を批判しました。
  2. 蛮社の獄(ばんしゃのごく):
    • モリソン号事件を批判した蘭学者である**渡辺崋山(わたなべかざん)高野長英(たかのちょうえい)**らが、幕府の対外政策を批判する著書を執筆したり、海外渡航を計画したりしたことで、幕府によって弾圧されました。これが「蛮社の獄」と呼ばれる事件です。
    • 蛮社の獄は、幕府の鎖国政策を批判する言論を弾圧するものであり、言論統制の強化を示すものでした。
  3. 対外政策の変化:
    • モリソン号事件と、その後に起こったアヘン戦争(1840年~1842年)で清がイギリスに敗北したという情報が日本に伝わると、幕府は西洋諸国の軍事力の強大さを認識し、異国船打払令の維持が困難であると判断しました。
    • その結果、1842年(天保13年)には、異国船打払令を緩和し、外国船に対して薪水(燃料となる薪と水)や食料を供給して速やかに退去させるという**薪水給与令(しんすいきゅうよれい)**を発令しました。これは、幕府の対外政策が、強硬な排除から、一時的な供給による穏便な退去へと転換したことを示しています。

モリソン号事件は、日本の鎖国体制が揺らぎ始め、開国への圧力が強まっていく幕末の序章とも言える重要な出来事でした。

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