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江戸時代の飢饉でさつまいもの研究を進め食物とすることを推奨した人物は?
- 杉田玄白
- 徳川吉宗
- 本居宣長
- 青木昆陽
青木昆陽(あおき こんよう)は、江戸時代中期の儒学者であり、蘭学者でもあります。特に、サツマイモの普及に尽力した人物として、「甘藷(かんしょ)先生」の愛称で広く知られています。
生涯と功績
- 生誕と学問:
- 1698年(元禄11年)、江戸の日本橋で魚問屋の息子として生まれます。
- 学問を志し、京都の儒学者・伊藤東涯(いとう とうがい)の私塾である古義塾で儒学を学びました。
- サツマイモの普及(甘藷先生):
- 1732年(享保17年)に西日本を襲った享保の大飢饉の惨状を見て、飢饉対策としての作物の重要性を痛感します。
- 当時、九州の一部では栽培されていたサツマイモが、痩せた土地でも育ち、飢饉に強い作物であることに注目しました。
- 1735年(享保20年)にサツマイモの栽培法や効用をまとめた**『蕃薯考(ばんしょこう)』を著し、当時の将軍徳川吉宗**に献上しました。
- 吉宗は彼の進言を認め、サツマイモの試作を命じます。青木昆陽は、現在の千葉市花見川区幕張町や九十九里町(当時の馬加村など)の他、小石川御薬園(現在の東京大学附属小石川植物園)などでサツマイモの試作を行い、栽培に成功しました。
- この成功により、サツマイモは救荒作物(飢饉の際に人々を救う作物)として関東を中心に全国に広まり、その功績から「甘藷先生」と呼ばれるようになりました。彼の墓がある目黒不動瀧泉寺には「甘藷先生之墓」があり、千葉県幕張には彼を祀る昆陽神社が建立されています。
- 蘭学の先駆者:
- 徳川吉宗は、海外の知識導入にも積極的であり、1720年には漢訳洋書の輸入制限を緩和しました。
- 青木昆陽は、吉宗の命により、野呂元丈(のろ げんじょう)とともにオランダ語の学習に取り組みました。
- 『和蘭話訳(おらんだわやく)』や『和蘭文字略考(おらんだもじりゃくこう)』などの蘭語に関する書物を著し、後の蘭学の発展に貢献しました。彼の知識は、前野良沢(まえの りょうたく)など、後の蘭学者たちにも伝えられました。
- 幕府の役職:
- 大岡忠相(おおおか ただすけ)に推挙され、幕府に仕えるようになります。
- 幕府の書物奉行(江戸城内の書物を管理する役職)や評定所儒者などを務め、文献の収集や調査にも尽力しました。
青木昆陽は、サツマイモの普及を通して多くの人々を飢饉から救い、「甘藷先生」として敬愛されました。また、蘭学研究の先駆者としても、日本の近代化に重要な足跡を残した人物です。

